分陀利華



一日の空過はやがて
  一生の空過となる
         ~金子大榮師~


  10月20日をもって、輪番の辞令を賜り1年を迎えようとしている。
  「空過しない人生とは、ただ忙しくしていることではない。忙しいとは心を亡くすることだ」と、
  ある師から聞かされた。  いま、たったいま、自分はほんとうになにがしたいのか。
  なにを差し置いてもこれだけはしたい、そのことに出遇うことが本願力に出遇うことのように念う。
  「おまえは、いまどこへ向かい、どこへ歩もうとしているのか」と問われながら、
  空過の日々を送る私の2年目の歩みが、いま始まろうとしている。
  なにとぞ御指導、御叱責を賜りながらの歩みをさせていただきたく、ここにお願い申し上げます。


凍っていませんか、身も心も

 罪障功徳の体となる
  こおりとみずのごとくにて
  こおりおおきにみずおおし
  さわりおおきに徳おおし
              (高僧和讃)

  当院では11月19日に薪ストーブを設置し、庭園の剪定した樹木で暖を取っています。
  残木の処理費を軽減することと、 暖房費軽減を目的としていたのですが、来院の
  みなさまがたが珍しそうに暖を取っておられるのを見て、私自身なにか心が和むのを憶えました。
  私が、昨年までおせわになっていた北海道には冬の味覚はたくさんありますが、北海道の冬の御馳走は
  暖を取ることであるように思います。薪ストーブを囲んで人が集まり、乾物をあぶり、会話が始まる。
  これぞ北海道の風物詩です。なにもかもが凝り固まって、氷のようになっている私の生きざまも、
  暖を囲んで語り合っていく語らいの中で暖めてみたいものです。
  暖を求め、語り合いを求めて、ぜひ当院に御来院くたさい。お待ちしております。


遇うは別れのはじめとはいうけれどはたしていま私は、
  ほんとうに出遇っているといえるのか


  4月に入り、入学、入社など新たな出遇いを迎えられるかたも大ぜいおられることだろう。
  嫌味な上司や性格の合わない同僚など私の都合に合った出遇いばかりではなく、もっと言えば
  意に沿わない出遇いばかりかもしれない。しかしながら一回の出遇いが  自分の生涯を変えてしまう、
  そんな出遇いもある。  親子と名のり、夫婦と名のり、毎日顔を突き合わせて生活を共にしていても、
  自分の思い込みの相手としか出遇っていない私。そんな私の現実を宗祖は無眼人、無耳人と言われ、
  蓮如上人は無明業障の恐ろしき病と言われたのではなかろうか。 ひとをあれこれと批判する中で
  「自分はどうだろうか」と、ひとの批判によって自らのあり方が照らされることとの出遇いが、
  ほんとうの意味でひとと出遇うということではないか。
  ひとを通して自分自身と出遇う。そこにほんとうの意味での出遇いというものがあるのではなかろうか。


「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」
                  ~蓮如上人~


  現在各方面のみなさまがたから一方ならぬ御厚情を賜り、境内、庭園の整備をさせていただいていることである。
  御来院いただくかたがたの中で「ずいぶんきれいになりましたね」というおことばをいただくと、
素直に満足してしまう私がいる。師が「力のないものほど整備をして満足する」と言われていたことばが、
いまの私には厳しく響いてくる。 なにのための整備かということを思うとき、仏法聴聞をするための整備であることを
再確認させられることであるが、そのことはけっして整備ができていることで満足することではなく、
あくまでも「門法の最前列に我が身を置け」という師のことばであるように思われてならない。
  「仏法をあるじとし」という蓮如上人のおことばからも、「世間をあるじ」とし「仏法を客人」として
主客転倒している私自身の姿が師のことばを通して浮き彫りにされたことである。


さるべき業縁のもよおせば、
いかなるふるまいもすべし
         ~歎異抄第13条~


  先日、現在造成中の駐車場の現場から大きな石が出てきた。
庭園に運び整備に使おうとしてリヤカーを庭園まで取りに行こうとした。
そのとき突然庭園にまで見知らぬ男がバイクで入ってきた。
  あまりにも突然のことだっち。頭と心の整理が付けられないまま、言いようのない侮辱感がわいてきた。
いつもこの庭園に手を入れ心を配っているかたがたの顔が浮かんできた。
  「こら!どこまでバイクで入ってんねん!。おまえがここまでバイクで入ってくることがおかしいやろ!」思わず出た怒鳴り声であった。
  そのとき「しまった。なぜこんなことを言ってしまったのか」という情けない思いがわいてきた。
年がいのない自分のばかさ加減に打ちひしがれていた。反面「こんなところまで(庭園にまで)バイクで入るものが悪いんだ」という、
どこまでも自分を立てていく思いが交錯し、しばらくの間坊主であることも、聖典のことばも失っている自分にさえも気づけずにいた。
 情けない自分と反省しながにも、どこまでも自分を立てていく無慙愧のこの私に「そんなばかなおまえのために阿弥陀のはたらきがあるんだよ。
そしてそのことを『さるへき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもす』る私と言うんだよ」と宗祖から、また師から言い当てられる貴重なでき事であった。
 


~雑草から問われること~

 境内にある木々も雨の潤いを受け、青々と茂り寂静の森の様相を呈している。しかしながら一方では雑草が目立ち始め、
これからの雑草との格闘を予見せずにはいられない状況となっている。
私にとっては、雑草はいらないもの・邪魔もの・抜かねばならないものにしか見えない。
 以前、ご門徒のおばあちゃんから「雑草を抜きながら、一生懸命生きようとしている雑草を邪魔者扱いにしかしてない自分。
そんな自分に気付かされながらも、草引きをしなければならない<我が計らい・我が都合の>現実の中で、
雑草を引きながら『ごめんね』というしかない自分がいる」といわれていたことを思い出した。 
このおばあちゃんはもう亡くなられたが、年じゅう法衣をまとい、仏法を聞かせていただきながらも、
仏法からいちばん遠い存在が私であることを、このおばあちゃんから知らせていただいている。


~伯父の死を通して、いま伯父とともに~

 先日、伯父が亡くなった。八十五歳を一期として精いっぱい生きた生涯だった。次男として誕生しながらも、
長男の戦死により家を継ぎ、自分の都合もわがままも通せず、まったく家の犠牲を余儀なくされた生涯であった。
しかしながら本人からそのことの泣言や愚痴はほとんど聞かされたことはなかった。
 天性の明るい性格で、周りをほほえませるのが伯父であった。子どもに男の子がいないこともあり、
私は幼いころよりたいへん大事にされた。一緒に旅行に行ったり、大きくなってからは酒を酌み交わし談笑をすることもあり、
そのときどきに伯父から助言や忠告をもらったことである。
 「一回やり始めたことは最後までやれ」。これは私の人生の節目で言ってくれた伯父の一言である。
伯父の臨終の姿から「坊さんとして一生涯を尽くせよ」と言われている気がした。
そのことは無自覚に過ごす私生活の中で「坊さんとはなんぞや」という根本的な問いとして、いま私まで至り届いている。
その問いの中で伯父と出遇いながら、伯父とともに歩んでいこうと念(おも)っている。


~腰痛を通して~

先日、腰痛で起つことも座ることも苦痛の日々を余儀なくされた。普段、なにも気にかけないで生活している事柄が、
切実に身に響いた。そこにあることも意識になかった手すりの重要性にもはじめて気づかされたと同時に、
いかに自分がなんの苦痛もなく動けることを当然にしているかということにもうなずかされた。
 「人間は支障が起きた身体のその個所によって、その個所の存在とはたらきをはじめて知らされる」
そんなことを思わされたことである
 不慮の事故で頸椎を損傷され、手足の自由を失われた星野富弘氏の詩集には、

  いい日だ
  いい日だ
  つつじの花のむこうを
  老人が歩いていく
  赤ん坊をおぶっている足どりも
  軽やかだ
  右足左足右足左足
  あっ片足で立った
  おっ半ひねり
  すごいなあ人が歩くって
  私は前はあんな見事な技を
  こともなく毎日やっていたのか
 
 生まれたことも、生きていることも当たり前にし、死んでいくことを誤魔化しながら、自分の都合に合わないことに腹を立て、
他人との比較の中で愚痴をこぼし、他人を傷つけ、自分も傷つきながら、なにもかもわかっているつもりでいる。
つねに人生の評論家であったり傍観者ではあるが、一度も自らの人生を生きたことがない。
そんな生きざまを宗祖は邪見憍慢の悪衆生とこの私に言い当てられたのではなかろうか。



  ~悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ~
 
 先日、電話でお祓いを依頼された。断るのは簡単なことであるが、せっかくの問いかけのご縁を潰すことになる。また二つ返事で気安く受けてしまえば、呪術宗教に成り果てる。
 電話というのは実にやっかいな道具で、相手の顔も表情もわからない。「なにをお祓いしたいのか、お祓いをしてどうなりたいのか。そのことがはっきりしなければならないのではないか」と、これが私からご依頼されたかたへの問いかけであった。
 お祓いをすることの思いには、どうかいまの苦難から逃れることができ、これ以上の苦難に見舞われないようにと、仏の力を借りて、またお経の功徳を借りてお頼みするということではないか。そのことは同時に、「仏の力を利用し、お経の功徳を利用してまでも私の都合を充足させたい」という私の傲慢心の現われではないか。お祓いをしなければならない私の利己主義を棚上げにして、すいすいと生きようとする身勝手な私の思い、その思いこそが、実は「悪重く障多きもの」と宗祖が言い当てられたわれではなかろうか。
 宮城顗師はさわりということについて、
「日本の文化は特にさわりを大事にする。日本の楽器にはさわりがある。音がでにくくなるさわりがつけられている。さわりにおいてほんとうの自由がある。自分の思い通りにならないとき、はじめていのちの事実にうなずけ、自己の本来になる。芝居の舞台などのさわりというのは、主人公がいちばん困難にぶちあたっている中でのもがきにおいて、すべての人間に響くようないのちの叫びがよびさまされる。障害にぶちあたっているところに精神が盛り上がってくる。無碍というのは他を妨げない、障害もないということではない。いかなる障害も本願の世界への扉となる。いかなる障害も道となり、障害こそが真実なるいのちに出遇っていく真実への扉となる」と口述されていた。
 どのようにして苦難から逃れるかという眼から、その苦難から逃れたいとする私の利己主義性や、どこまでも身勝手なあり方が問われる眼への転換、その転換こそが如来からのはたらき(如来の発遣)であり、如来の眼を賜るということではないか。
 ご依頼のあったお祓いの件は、いまだに連絡はないが、お参りのおりには悪重く障多い私自身の生活を通じ、じっくりとお話をしたいものである。



「雑毒の善」

 ある師から「君が何でも自分でやろうとする意欲は貴重なことだ。しかし、かえってそのことで他人の領域まで侵し、他人をだめにすることもある 少しは他人に任せ、他を生かすことの大事さも知ってほしい」と私にとってはかなりの苦言と貴重な御指摘を賜ったことがあった。
 先日、長男の引っ越しで家からの荷物出しの段取りや、足りないものの買い出しに付き合った。また赴任先まで行き、必要な家電の購入にも立ち会った。そのときのことだった。「お父さん、僕もう社会人やから、自分でできるから、もういいよ」という、息子から発せられた言葉に驚愕すると同時に、師からの言葉(前述)を想起させられた。
 やらねばならんという義務感や、お世話をしているという、押しつけの親切心ほど他人の領域を侵している行為はない。
 知らず知らずに、他人の領域にまで、土足で入り込んでしまっている事実がそこにあった。その自らのあり方に恥ずかしさを覚えながらも、そこから抜けきらない自分のどうしようもなさを、いま痛感させられている。
「他人の人間性を無視すれば、かならず自らの人間性も失っている」とは、和田稠師のお言葉である。自分の思い、はからいだけで生きるということは、自らの人間性も他人の人間性も失い、人間不在の世を作り出すことになる。
 昔「わかっちゃいるけどやめられない」という歌があったが、どこまでいってもわがはからいの押しつけでしか生きていけない私、他人に迷惑をかけながらでしか生きていけない私ということが、私自身ほんとうにうなずけたとき、愚かな者として生きる大地に足が着き、人間としての歩みが始まるように念
(おも)えてならない。



   ~我、凡夫の相を知らされて~

 昨今、新聞の三面記事を賑やかしている多くは、窃盗・強盗である。
 そのときまで私は、それらの犠牲者の大半は高齢者か女性で、全くの他人事だと思っていた。
 それは先日坊さんの仲間十人ほどで食事に出かけたときだった。喋りながら無防備で歩いていると、突然正面から無灯火のバイクが出現、何事かと思うと同時に、我がセカンドバッグはバイクとともに闇夜に消え去った。
 セカンドバッグの中には免許証・クレジットカード・キャッシュカード・健康保険証・スケジュール帳・少々の現金・高血圧の薬も入っていた。突然のことで、茫然自失であったが、しばらくして徐々に怒りが込み上げてきた。その後警察署では質問の洪水が待ち構えていた。「バイクの色は」「犯人の特徴は」「ヘルメットの形状は」等。それは午後八時半から午前一時過ぎまで、延々と五時間にも及び、また怒りが込み上げてきた。
 質問攻めを終えて、警察署から妻の運転で家までの道中、バイクに乗っている人を見るたびに犯人に見えてくる。どうにもならない私の実相が浮き彫りにされた。
 翌日、早々に運転免許再交付手続きに半日をかけ、高血圧の薬をもらうために病院へ行き、健康保険証の再交付のための手続きをし、盗難処理に一日奔走した。また怒りが込み上げてきた。
 盗難から四日後、車で三十分ほど離れた警察署から「セカンドバッグを川で拾われた方がおられましたので、署まで受け取りに来てください」との連絡があり、受け取りに行き、現金以外が戻ってきたものの、どれもこれも濡れて使いものにならない現状を見るや否や、また怒りが込み上げてきた。
 取られて怒り、質問攻めに怒り、盗難処理に怒り、出てきて怒ることしかできない私の相、これを宗祖は「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち(中略)ひまなくして臨終の一念いたるまでとどまらず、きえず、たえず」と述懐されたのであろう。
 この私の不注意による一連のことで、事件の後、他の仲間が深夜まで付き合ってくださったことが、私には何よりも人と人の間柄を教えていただく貴重な出来事であった。


「ただいたずらにあかし、いたずらにくらして、老のしらがとなりはてぬる身のありさまこそかなしけれ」
            

~蓮如上人「御文四帖目四通」~


先日、大学時のクラブの同窓会があった。皆学生時の面影は留めているものの、壮年の真っ只中を歩む白髪まじりのおじんと、何とかして老化を隠そうとするおばんの集まりといっても過言ではなかった。またその場に同席している自分自身も、その中の一人であることの事実に愕然とさせられた。
 卒業してから三十年、「俺はいったい何をしてきたんだろうか」という空恐ろしい問いが自分を襲ってきた。現役生を見渡せば我が息子より年下の者ばかり、我が学び舎はすでにその様相を一変し、ここには自分がいた形跡の一片もない。「いったい自分は今どこにいて、何をするものなのだろうか」という、浦島太郎の心境が知らされた。
 卒業して、就職し、結婚し、子供が生まれ、子育てに追われ、気が付けば三十年、目先の「やらねばならない」ことばかりの連続をこなしてきただけだ。何一つとして「せずにおれない」こととの出遇いなどなかった。
 「人生はやり直すことはできないが、見直すことはできる」は金子先生のお言葉である。現前の事実に目をやり、見直してみれば、そこには「夫と呼んでくれる妻がいる」「お父さんと呼んでくれる子がいる」「わが子よと呼んでくれる親がいる」。この何でもないことの不思議さを思わせられることである。
 私にとって今回の同窓会は、「何でもないことの不思議さ」を見直す機縁になったことは確かである。




~「和みの場」は私にとって大切な「聞法の場」~
 

 四月二十七日(土)午前十時から午後二時過ぎまで、当院において第一回「和みの場」を二十七名のご参加のもと開催した。
 昼食のなかで、参加者全員に自己紹介をしていただいた。多くは岩手、宮城、福島県から京都へ移ってこられた方々であった。知り合いのいない不慣れな地で、また母子避難で家族が別々に生活しなければならない不安を抱え、生活されていることを目の当たりにした。
 また、そのことをよそに、家族団欒の毎日のなかで不平不満を漏らし、スイスイといきている私が恥ずかしく、また情けなく思えてならなかった
 「真宗の教えは、聞けば聞く程、自らの愚かさ・狡(ずる)さ・傲慢さが、いよいよ知らされて、今まで平気で踏みつけてきたことの一つ一つに頭が下がっていく教えだ」とは、師の常の仰せであった。
 私にとって、この「和みの場」は、私自身の愚かさ・狡さ・傲慢さを知らせていただく大切な聞法の場であり続ける。



 たれのともがらも、われはわろきとおもうもの、
    ひとりとしても、あるべからず。

~蓮如上人御一代記聞書 五十八~


先日、父が入院中に母の診察の日が重なり、私は、マイカーを利用して息子と同行した。車いすを押し、採尿・採血と二つの科を回った。
病院の前にはパーキングメーターがある。一時間を超えれば、場所を移して追加料金を入れるというシステムである。途中で一時間を超過し、場所を移して料金を入れたのだが、その後、私の頭から駐車に関することの一切が忘れ去られていた。
支払いを済ませ、足早に駐車場所へ行くと、車に駐車違反のステッカーが貼られていた。数々の責任転嫁と憤りの思いで車を運転し、帰宅した。
「このことは、私の不注意です」。こんな素直な心は私には毛頭ない。あらゆる人に責任転嫁し、駐車違反のステッカーを貼った緑の監視員に対する怒り・腹立ちの心が満ち満ちている。
自分の立場でしか物事が見えない、聞こえない、考えられない。これが私の紛れもない事実である。
しかし、私が駐車違反をしたのは事実である。仮に私が緑の監視員ならば、当然違反ステッカーを貼ったに相違ない。また、違反者から異論を唱えられたなら、「あなたが違反したんでしょ」と、厳しい口調で返答するに違いない。
 自分の立場でしか生きられない、その起因を蓮如上人は「真実に仏法のそこをしらざるゆえなり」と述懐される。このことはいくら頭で理解できても、「反則金が惜しくてしようがない」私、仏法が身に響かない、仏法から一番遠い私が、今ここにいる。



岡崎別院本堂創建の上人

達如上人百五十回忌に念う


 新春のお慶びを申し上げます。
 昨年、災害により被災された皆様に、衷心よりお見舞い申し上げます。
 今年は、災害のない、平穏な年であることを念じ上げますが、何がいつ起こるかわからない今を生きているのも事実でありましょう。激動の時代を生きられた蓮如上人は「仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。仏法の事は、いそげ、いそげ」と述懐されています。
 本年は、当院本堂創建の上人である「第二十代達如上人」の百五十回忌の年であります。本堂が創建され二百余年、それは幾多の台風や地震に耐えてきた歴史であります。
 そのような由縁の本堂は、多くの法話を響かせてきたことです。彰如上人の学習の主任として清沢満之先生が教鞭をとられました。また「鏡池会」の中心として金子大榮先生や曾我量深先生など、多くの先生方の「獅子吼(ししく)」された声が「染みる」本堂であります。
 それは、現在に至っても、「報恩講」・「朝の法話」・「三日講」・「蓮華の集い」として伝承され、時代や人の変遷と共に、聴聞される方々や護持して頂いている方々によって継承されています。
 本年四月に行われる真宗本廟(東本願寺)での達如上人百五十回忌法要にご参詣いただいた折には、当院本堂の「柱に染みる法話の声」を実感していただきますよう、お待ちいたしております。



~「灯台本(もと)くらし」の現実のなかで~

 以前「あなたにとってお寺とはどのようなところですか?」というアンケートをしたことがあった。
 アンケート回答の一位は「日常生活からかけ離れたところ」、二位は「葬儀や法事を行うところ」、三位は、「仏法を聞くところ」であった。
 私なら「仏法を聞くところ」と回答していただろう。しかしながら、ある参加者は「私にとってお寺とはハッとさせられるところです」と回答された。この回答に「ハッとされられた」のは、私の方であった。
 「仏法を聞くということは、身が歓ぶことであって、頭をよろこばすことではない。」と和田稠(しげし)氏は言っている。「お寺はハッとさせられるところです」と言い得たご門徒は、仏法を我身で歓ばれ、生きる力としているに違いない。身がお寺にありながら、感動のない、慣例化した毎日を送り、仏法を聞いていても「一向に生きる力にも、喜びにもなってこない」私の現実を、一人のご門徒から教えていただいた。
 蓮如上人は、『とおきはちかき道理、ちかきはとおき道理なり「灯台本(もと)くらし」』と述懐されている。この御述懐は、観念の闇のなかで、自分が一番仏法の近くにいると思い込んでいる私に、「お前が一番仏法から遠い存在である」と言い当てられている。