別院紹介

本堂
江戸時代に流布した親鸞聖人の伝記である『親鸞聖人正統伝』は、29歳で比叡山を降り、吉水の法然上人のもとに通ったと伝えています。また承元の法難に連座して越後に流され、赦免ののち関東での生活を経て、帰洛した親鸞聖人が最初に住んだのも、この岡崎の草庵であったといわれます。 当時の京都周辺の人々が、聖人を慕って「親鸞屋敷」と読んだ草庵跡と伝えられるこの地に、享和元(1801)年に東本願寺第20代達如上人(1780~1865)と御門徒によって現在の本堂が創建されました。
鏡池
本堂の西側の石柵で囲われた小さな池は、「鏡池」また「姿見の池」と呼ばれています。 親鸞聖人が越後配流のおりに姿を映して名残を惜しんだ池と伝えられています。 「鏡池会」はこの池の名に由来しています。  
八房の梅
八房の梅
「鏡池」の西側には「八房の梅」があり、これは聖人お手植えの梅の木の由緒を伝えるもので、現在次の世代担う「八房の梅」を生育しているところであります。
清池館
明治9(1879)年に岡崎別院と改められ、同22(1889)年には新門の学問所である御学館が移築されました。「清池館」(現在の輪番所・専修学院別科生の部屋)と命名された御学館では、彰如上人(句仏上人)が学ばれ、同24(1891)年には清澤満之先生が主任に任ぜられました。また大正5(1916)年には金子大榮先生を中心に学生の勉強会である「鏡池会」が、当院を会場として発足しました。この会にはのちに曾我量深先生も参加されたと記録にあります。当院において厳修された清澤満之先生の50回忌法要の写真が残されています。
庭園と茶室
茶室は、達如上人により本堂とほぼ同じ時期に創建されたと伝えられ、その当時の前大徳寺宙宝禅師の扁額「翠雲」を掲げ、「翠雲亭」と呼ばれています。 当時二階建ての茶室である「延賞台」が池の西側にあり、延賞台八景として幾多の詩歌にうたわれていましたが、惜しくも第二室戸台風で倒壊し、現在はその跡地として記されているばかりとなりました。 池の中央には、朱塗りの橋「必度橋」が架かり、庭園にいっそうの趣を感じることができます。 「必度橋」は大谷専修学院元院長信國淳師により命名されました。朽ちていたこの橋も、2009年6月16日に、山城第2組の寺院御住職や御門徒の手で足場が組まれ塗装と床の張り替えがされ、2009年7月31日に渡り初め式を行いました。              
  境内の四季の様子